私が話したことで、人生ですごくいい考えを持てたと言ってくれています。
この方にとっては、それが心の覚せい剤になり、
その人から私の心の覚せい剤をいただいたのね(笑)。
だからね、なんでもいいのよ。
心に覚せい剤を持つことが大切じゃないかな?
苦しい時は何か一つ、心の中に覚せい剤を作ろうよ。
私も昔、苦しくて苦しくて、死にたいと思ったことがあります。
45,6年前のこと。
死にたいと思い、有り金をはたいてアフリカ行きの飛行機に飛び乗りました。
その当時のアフリカ行きの飛行機はボロボロで、とにかくよく落ちました。
「万歳、万歳!」と見送られる時代です。
あまり行く人もいなかったので、少ない費用で多額の保険をかけられたの。
誰に迷惑をかけることなく、家族や役員たちも喜ぶし・・・と。
でも行きの飛行機は落ちなかった。
そこでアフリカに着くと、マサイ族に会いに行きました。
当時、商社マンがマサイ族の人たちにカメラを向けて刺されたというニュースを聞いたから、
カメラを持って向かったのです。
でもね、その時の空があまりにきれいだったの。
だから最初に空ばかりを撮っていたら、マサイの人たちは私を頭のおかしい女だと思ったみたい。
哀れに思ったマサイの人たちは、「キジジ、キジジ」と言って、私の背中をたたき踊りを踊ってくれました。
“キジジ”の意味はね、マサイの人たちの武器は槍で、その他は棒だけのみで叩いてたたかったの。
だから背中を叩くといことは殺意であり、絶対しない行為だったのです。
それを、親しい人や命を許し信頼し合える仲というのを、
“キジジ”という言葉でつなぎ合わせ、お祭りなどでは背中を叩き合いながら踊り、
背中を叩いても許し合える中ということで信頼を深めたのです。
その踊りを私のためにみんなが踊ってくれたのです。
殺して欲しかったのに、親族扱いされ、仲良くなり三カ月ほど滞在し、たくさんのお土産をいただきました。
当時のケニアッタ大統領にもお会いし、カメラをプレゼントしたら、
カメラなどなかった時代、とても貴重がられ、とても喜んでくださり
逆に写真にあるようにたくさんのプレゼントをいただいて帰ってきました。
今では持ち出し禁止のものたちですが、まだ50年前は税関も甘かったのでよかったのよ。
水牛の角をくりぬいて作った指輪です。
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エレファントのシッポの毛は針金のように太いのよ。それで作られた指輪と腕輪です。 |
バンビの赤ちゃんの足首のネックレス。輪っかの部分はエレファントのシッポ。右は角のペンダントトップです。
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エレファントのシッポの毛。1本の指輪と何本か束ねた時の拡大図です。 |
エレファントの足は腰掛けやイスになります。 |
左の蓋をあけると、中に物が入れられるようになっています。 |
ライオンの牙です。 |
マッチと大きさを比べるとわかるでしょ?すごく大きいわね。 |
MADE IN KENYAと書かれたタグをつけたままでした。見えるかな? |
これはライオンの奥歯のペンダント。すりへってきれいではないので、数が少なく珍しかったの。 |
これは高級品。お土産にと私が自分で購入してきたもので、金で装飾がしてあります。 |
こちらはライオンの爪のペンダントとイヤリングです。よく見るとまだ若いのかな?戦ったあとがなく綺麗です。 |
マサイ族の娘さんたちが身につける装飾品です。これらは小ぶりのもので、もっと大きなものもありました。 |
すべて貝から作ったビーズでできています。オレンジや黒、赤や黄色の貝を削っています。 |
マダガスカルに近い海では、日本にないような色の貝もあるのです。 |
黄色い貝は貴重とされ、娘さんたちは一つのアクセサリーをいろいろな処につけました。腕につけた例。 |
足につけるとこんな感じに。 |
ネックレスにするとこんな感じに。髪飾りとしても使っていましたよ。 |
シャークのトゥース。ギザギザがあるし固いのでよく切れ、いろいろな物を切るために使っていました。 |
首狩り族が首を狩った数だけ、身につけたそうです。狩った首を干したものも頂いたのですがさすがに捨てました。 |
地位のある酋長などの首を狩った時は黒のマラカイトでその人の面をつくり家に飾ったそうです。 |
あの土地には自然のものしかなく、私が持っていったいろいろな物に驚き、
それらをプレゼントすることで、上のようなたくさんの物をいただきました。
タッパーなどのプラスティックも、柔らかさやピタッと閉まることに驚き、
水を入れ反対にしてもこぼれないのを見ると、拍手喝采!飛びあって喜んでいました。
「温かいものも入れられますよ」というと、一人の女性が火にかけてしまい、
溶けたのを見て泣いて「魔の袋だ」と言って恐れ、警戒されたこともありました。
また、泊っていたホテルでは、パンティを洗濯して干しておくと、毎日無くなるのです。
最後の一枚は、手に通したまま乾かしました。
あとで分かったのですが、当時の人々はパンティをはいておらず、
位の高い女性がしていたナイトキャップだと思いこみ、みんなが欲しがっていたのでした。
楽しいお話でしょ?
そうして私は、友達もたくさんでき、紹介され、生きる道が変わったように感じ、生きなくてはならなくなりました。
結局死ねなかった私は、日本に戻り、生きることにしてまた仕事をはじめ、
CooCooを作り、その後写真にあるように丸栄スカイルの5階に“キジジ”という店を作りました。
当時の私が何を心の覚せい剤にしたか。
思い出してみると、それは、
今晩ひと晩寝ると明日が来る。
明日が来たら、明後日が来る。
明後日が来たら、し明後日が来る。
毎日それを続ければ、1年が来る。
1年過ぎると周囲が変わると良くなる。
それでいいじゃないか。
きっと良くなる。きっと良くなるはずだ。
生きていれば、良くなるはず。
で、ここまで来てしまった。
こうやって、今まで自分で心の中に覚せい剤を作ってやってきたけれど、
今回は人からもらって、素晴らしい心の覚せい剤となりました。
また、どこかから違う心の覚せい剤をもらえないかな〜と願いながら新年とします。
心の覚せい剤は、自分の考えでどんどんできてしまう。
日本一心の覚せい剤をたくさん使って幸せになった私(笑)。
知ってる?
“心”の語源は“コロコロ変わる”から来たのですよ。
だから、こうして私の心がコロコロ変わってもいいことなんです。
新しい年は“心の覚せい剤”を持って、幸せになろうね。
さて、来月からこの「今月の言葉」のコーナーでは、
毎月の朝礼でフランス、和食、イタリアの各お店のシェフや料理長が話してくれる
食文化についての素晴らしいお話をご紹介していきますね。
2月はフランス、3月は和食、4月はイタリア、5月が私という順番です。
2010年は、新しい「今月の言葉」のスタートです。
楽しみにしてくださいね。
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