【2013年5月の言葉】


“勝つ言葉”

吉川幸枝

何かが起きた時、勝てない理由は何だと思う?
それはね、勝つ言葉を持っていないからなのよ。
今月はちょっと長い文章だけれど、大切なことだから例をあげて説明してみたので最後まで読んでね。

何かが起きて自分が被害をこうむったということは、自分に非があったということなのよ。
だからね、その非を最初から認めて、相手を説得すれば勝てるのよ。

相手が少し悪い心で、接せられた時は勝ちやすいわよね。
相手の非を責めるという形がある。
でもね、相手がそれを知って覚悟してきている場合は、負けることが多い。

勝っても実質を取られてしまったら、論理上、社会道徳上、常識上に勝ったとしても、負けてますね。
そんな風に負けた時は、相手がお金があれば賠償ということになる。
しかしね、命あるものは絶対返してもらえない。
そんな時こそ、深い悲しさに陥るよね・・・。
絶対、お金では埋め合わせができないということがあるからね。
裁判などは、そのへんのところには触れられないところですね。悔しいけれど・・・。

これは、その人が不運に見舞われた、大きな波であると思うの。
でも、じゃ、その波を止められなかったか?というとできる方法があったと思うの。

深く深く自分の非を認めて、探した時にしか見つからない…。
相手が悪い、相手がが悪いと思ってしまった時には、もうそこで何も見えなくなってしまうの。

だから、絶えず、ことの起こった時に、そんな想いで接してきた人には防御装置ができるのよ。
許せない、恨んで終わってしまっては、何の習得も無い。
従業員の場合、危害を加えられた時に、たとえ相手が非を認めず、自分が戦って物的損失を起こしていても、腹を立てるだけで済むわけですね。だから成長しない。
腹を立てて気分を悪くして、騙されたといって相手を恨んで終わってしまう。
それは単なる弁明じゃない?と思うんです。
弁明も無くその責任をとるのが経営者、上司ですよね?
その苦しみによって次の防御装置を作り込んでいき、
防御装置をたくさんもった人物ができあがっていくの。

責任を取った人こそ、大きな波に見舞われない防御装置を身にも脳にもつけてしまうのなの。
これが神様からもらった公平なるお裁きですね。
ここのところは、経営者である私は体験体感してきたところなのよ。
全部責任とるんですもんね。

例えばね、自宅用に買ってきた10万円の箸がなくなってしまう。
誰なのそれは?どういうことなの?というとね、
自分でお金を払った人は、嫌だなと思い、痛みを知って・・・
ではどうしたらいいか?という思いまで持っていけるわけですよ。
そこが防御装置であり、防御できるパワーであり、災難を排除する力なの。
責任を取る人のみにもらえるものです。
防御装置っていうのは、そんな時にしかできないのよ。

自分でミスをした人は、責任をとらないで、
「ごめんなさい」の一言で済ませる状態の時には、永遠に防御装置はできないの。
だから、大きな不幸の波に飲まれてしまうこともあるよね。

吉川幸枝は人より少し努力したから、
いい塩を食べられるし、美味しい魚も食べられるし、
そうして本物の目を作っていただいたのでどんな物も美味しく食べられるんです。

誰にも教えてもらわず、自分で責任をとる人が防御装置ができるんです。
年齢が来て今、そんな風に思うのよ。
偉い人は「運が良かった・・・」の一言で片づけられるんじゃないかな〜。

例えばね、隣地の建築をする人が
「木を切らしてください。こちらに入りこんでいるところの木をね」
と言われた時に、
「出ているところなら、どうぞいいですよ」と言ったとする。
これはいい加減な答えですよね。範囲の無い答えをしている。
責任を取ってきた人物は、言葉によって痛い目をしてきたので、範囲を決める。
「出ているところはどれとどれですか?」と言って、枝に印をつける。
「ここですね」と。

世の中は確認です。
その確認において、指をさして写真を撮るとか、
木の絵を描いて枝の根元から何メートル何センチですね。というところまで確認を取りきる。
それ以上は切りませんという一筆も入れる。
そして、切る時には立ち会わせくださいと言う。
ここまで言うと、もう勝ってるんです、この言葉は。

負ける人のように「出ている枝ならいいですよ」と言って終わると、相手はどこまででも切れるんです。
枝は根っこまで続いているから・・・。
根っこのちょっと前までは軸ですから・・・。
根っこから何センチが軸で、根っこから何メートルが枝と決めていないことを許可したんです。

切る人にしてみれば、できるだけ簡単に切りたい。
そして将来こちらに入りこまれるような、
そんな木なんて無い方がいいと思った時は、根元から切ってしまう。
「切っていいと言われました」という喧嘩になるんです。
でもね、切ってしまってからでは、もうなんともならないので、
どんなにわめいても「いいよ」と言った人の負けですね。
世の中はね。

この違いが人生ではあるんじゃないかな。
全く違うのよ、生き様がね。
一つの言葉を聞いた時には、始めから全てを想定して答えを出している人と、
軽く「いいわよ」と言った人の人生は大きく違うの。

「いいわよ」と言った人、根元から切った人・・・誰が悪いということではないのよ。
その時どうしてそこまでやらなかったの?ということなの。
これが勝つ生き方、勝つ言葉なのよ。

確かにね、根っこから切ってしまったほうも悪いのよね。
非常識なのよ。
でも、非常識な人間がはびこることができるような言葉づかいが危ないのよ。
そこに気がつくかどうかなの。

そこでね、負けた人は何を言うかというと、
「切ってもいいと言われたじゃないですか」
「出ているところだけだと言ったじゃないですか!」
その言い合いですよ。
食い違ったままで解決はつかないの。

吉川幸枝の場合、もしそんな状況になったとしても、
追い詰める言葉を持ってるのよ、
「あなた様はこうも言わなかったでしょ?
ああも言わなかったでしょ?」
とね。
だから、最初からそれを全部そう言えないようにやってしまうのよ。
だから、根本的に仕事のでき具合が違うの。

実は歩く時から勝つ歩き方をしているの!
一歩もね!
これは内緒(笑)。

これはあくまで、一つの例よ。
日常、これと同じようなことはたくさん起こるのよ。
負ける人は、
“だいたい”とか“思った”とか、“そういう風に聞いた”とか、
“そうで無かったですか?”という言葉を使うよね?
この言葉はマイナスなの。
それは一切使わないようにすることが勝つ力、勝つ言葉の一歩よね。

私でも時々“確認の取りが甘かったな〜”という事があるの。
でも、「相手が悪い、相手が悪いんだ・・」と全面的に相手が悪いと思った時には、全面的に負けてる。
相手を悪くした原因はこっちにあるということに気づかなければいけない。
悪い現象を作った原因はこっちにあるんです。

そういう風に考えて、あとで悔やまないようにできることは、
一つひとつの仕事の確認のとり方じゃないかな?

“勝つ言葉”自体は、経験からしか生まれてのこないけれど、
まずはこの“確認”こそ全てだと思うの。

相手を悪くしてしまった原因は自分にあるって心底思えたら、勝つ道はあるからね。
まずは、何よりも“確認”こそ勝つための第一歩だから、
ここだけは、大事にしてね。

考えてみて、簡単なことよ。
確認して危ないと思ったら行かないし、負けると分かったら行かないでしょう?
“確認”こそ全ての勝利者のものであると言えるよね。
確認しても失敗した、負けたとしたら、それは確認が甘いのよ。
甘い確認も、甘い考えも負ける!ハッキリしてるわ。

甘くていいのはお菓子だけよ(笑)。

吉川幸枝

テレビ出演のご案内

□2013年5月10日(金)
フジテレビ 19:00〜 ペケ×ポン ※関東地方のみ

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