「闘志が湧いて、やるやる!やる気よ!」と言っていても、投資をしないでは、
損失を身に受けない身軽さが闘志を軽くしてしまう。
投資が大きければ大きいほど、闘志は大きくなる。
危機感が大きくないと、闘志も大きくならない。
危険の無いところで、温和、平和で何を戦うの?戦わないでしょう?
これは自分を遊ばせる、憩わせる場所でしょ?
憩う場所も大切な場所だけれど、
闘志は目的、夢、望みのために湧くものよ。
自分自身への闘志を向かなければ限り、本物の闘志にはならない。
よく色んな話をする時に、「私もがんばります」という人がいる。
これは当てにならない。
がんばるというのは、何をがんばるのでしょう?
どこに向かうために、何をしているか=現在している話をして欲しい。
大変な知恵も体力も財力もいることに、
全てを投じて行動・実動をしているその姿こそ、素晴らしき闘志である。
「がんばります」「一生懸命やります」というのは、最低限の普通のことであって、
今、自分に対して戦いを行っているとは思えない。
闘志を湧かすというのは、ことばで表現できないことだと思う。
その人が今、そして今までに何をしてきたか。
そして何に向かっているかが、きちんと続いている時に、湧きいずるものであるから、
「がんばります」「一生懸命」なんて言葉を私の場合は言いたくない。
がんばってこれだけか、一生懸命やってこれだけか、と納得できない。
なぜなら、常に頂上を目指して、
今、すべきことはなんであるかを、ひたすら必死に考え、行動・実行しているのに
一生懸命とか、がんばるという言葉で表現する必要が無いのよ。
目で見ればわかるでしょう?
言葉が要らない実行力。
まさにこれよ!
なぜ、そんなにがんばれたか?と人は聞く。
もちろん愛する家族があってこそだと言いたい。
でも、家族だけでのことではなく、望み、希望、夢、したいことばかりで、
今でもしたいことばかりで、時間の足りない人生よ。
いつまで続くかな〜。
年を聞いたらびっくりよ。
世の中の、定年などは、はるか昔に通り過ぎ(笑)。
吉川幸枝
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