私は生れて70数年、宝くじの「た」の字も考えたことがなかったの。
そんなものに当たったら大変よね。
働かないお金を多額に得るなんてバカバカしいとさえ思っていた。
なぜ、こんなに騒いで人を悪くするの?とまで思っていたし、
当たった人で幸せになった人なんてありゃしない、
突然入った大金で、いい人生にした人なんて見たことがないものね。
そんな私にお歳暮で宝くじを送ってくださった方がいらしたの。
宝くじが100枚入っていたんです。
たくさんあるな〜と思ったのですが、100枚でいくらなのかもしらない私。
これって、私が一番バカにしていたものじゃない?と当惑して、
しばらく神棚の上に乗せて放ってありました。
でもね、人間って弱いものね。どこかで
「これって当たるのかな?」
「これって、神様からのプレゼントかな?」
と全部いい風にしか考えなくなるのね。
この1,2か月の間、「当たるわ、絶対一等が当たる。当たったらどうしよう」とまで思うようになる(笑)。
一等がいくらかも知らないのに、おかしいでしょ。
この心の変化、自分の心の弱さに気づいて
心なんてしっかりしているものじゃないと知らされました。
ここでふと、これは“心の覚せい剤”だと気づきました。
しばらくの間、すごくいい夢を見られる。
宝くじの良さは、この部分だ!ということに気づいたの。
これもとても大切なことね。
私もずいぶん変わったものね。
こんなに変わる。
しばらくの間、夢を見ておこう!って。
これは体に悪くない、犯罪でもない、素晴らしい“心の覚せい剤”ね。
宝くじをくださった方のお手紙をご紹介しますね。
これをもっと早く聞けたら私の人生は変わっていたと思います。
息子に世話を焼いたり、叱ったり色々する時、「うるさい!」と言って、ひと月きうらい物も言ってくれません。
時々、私の心の中にもそれについて根をもって対応していました。
それについて社長様は、「ひと月も物を言ってくれない息子がいたらそれを喜びなさい!なぜなら、ひと月間その事を頭に入れてくれている、そして心にも留めていてくれている。それを感謝しなさい。それこそ彼が一生心に留め記憶に残す事なんだからね。」
社長様からのこの言葉を大切にし、一生の宝物だと思っております。知恵と正義感で勇気を持って言い切れる人は少なく、たいていの人は黙って言わず不安感として心にしまっておくものです。だから、うまくいかなくなるんですね。
私も人生観を変える事にしました。自分だけで考えていると心がつまってしまい受け止められなかったのですが、こういう風に解決するんだと、社長様からのお言葉やアドバイスで気持ちが楽になり、前向きに考えられるようになりました。
私が話したことで、人生ですごくいい考えを持てたと言ってくれています。
この方にとっては、それが心の覚せい剤になり、
その人から私の心の覚せい剤をいただいたのね(笑)。
だからね。
なんでもいいのよ。
心に覚せい剤を持つことが大切じゃないかな?
苦しい時は何か一つ、心の中に覚せい剤を作ろうよ。
私も昔、苦しくて苦しくて、死にたいと思ったことがあります。
45,6年前のこと。
死にたいと思い、有り金をはたいてアフリカ行きの飛行機に飛び乗りました。
その当時のアフリカ行きの飛行機はボロボロで、とにかくよく落ちました。
「万歳、万歳!」と見送られる時代です。
あまり行く人もいなかったので、少ない費用で多額の保険をかけられたの。
誰に迷惑をかけることなく、家族や役員たちも喜ぶし・・・と。
でも行きの飛行機は落ちなかった。
そこでアフリカに着くと、マサイ族に会いに行きました。
当時、商社マンがマサイ族の人たちにカメラを向けて刺されたというニュースを聞いたから、
カメラを持って向かったのです。
でもね、その時の空があまりにきれいだったの。
だから最初に空ばかりを撮っていたら、マサイの人たちは私を頭のおかしい女だと思ったみたい。
哀れに思ったマサイの人たちは、「キジジ、キジジ」と言って、
私の背中をたたき踊りを踊ってくれました。
“キジジ”の意味はね、マサイの人たちの武器は槍で、その他は棒だけのみで叩いてたたかったの。
だから背中を叩くといことは殺意であり、絶対しない行為だったのです。
それを、親しい人や命を許し信頼し合える仲というのを、
“キジジ”という言葉でつなぎ合わせ、お祭りなどでは背中を叩き合いながら踊り、
背中を叩いても許し合える中ということで信頼を深めたのです。
その踊りを私のためにみんなが踊ってくれたのです。
殺して欲しかったのに、親族扱いされ、仲良くなり三カ月ほど滞在し、
たくさんのお土産をいただきました。
当時のケニアッタ大統領にもお会いし、カメラをプレゼントしたら、
カメラなどなかった時代、とても貴重がられ、とても喜んでくださり
逆に写真にあるようにたくさんのプレゼントをいただいて帰ってきました。
今では持ち出し禁止のものたちですが、まだ50年前は税関も甘かったのでよかったのよ。
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(C)yoshikawa